ドバイは今、10日間の服喪期間にあります。
2026年9月21日、UAE副大統領兼首相、ドバイ首長シェイク・モハメッド・ビン・ラシード・アール・マクトゥーム殿下の弟君であり、ドバイ警察・公安副長官を務められたシェイク・アハメド・ビン・ラシード・アール・マクトゥーム殿下が、76歳で逝去されました。街では半旗が掲げられ、ドバイ・ファウンテンの公演も休止しています。
日本でこの訃報はほとんど報じられていません。世界的な馬主の逝去として、競馬専門メディアが伝えた程度です。けれども殿下は、いまのドバイの土台を築かれたお一人でした。この国で暮らし、お世話になっている者として、その歩みをご紹介させてください。
ドバイは10日間の服喪期間にあります
ドバイ首長府は9月21日、10日間の服喪を布告しました。期間は9月21日から9月30日までです。これはUAE連邦全体ではなく、ドバイ首長国を対象としたものです。
期間中、ドバイ全域で半旗が掲げられています。ドバイモールのドバイ・ファウンテンも、9月21日から30日まで公演を休止しています。弔問は9月22日から24日まで、ザビール・マジュリスで受け付けられています。
建国の父の、末のご子息として
1950年7月12日、ドバイのバール・ドバイにお生まれになりました。近代ドバイの父と呼ばれる故シェイク・ラシード・ビン・サイード・アール・マクトゥーム殿下の四男、末のご子息にあたります。母君はアブダビの首長家、アール・ナヒヤーン家のご出身です。
兄君には、ドバイ首長シェイク・モハメッド・ビン・ラシード殿下、1990年から2006年までドバイ首長を務められた故シェイク・マクトゥーム・ビン・ラシード殿下、そして2021年に逝去された、ドバイ副首長兼UAE財務相の故シェイク・ハムダン・ビン・ラシード殿下がいらっしゃいます。
国の安全を支えた、軍と警察でのご功績
英国のサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業後、ドバイの中央軍管区に入隊され、1975年に司令官に就任されました。
1997年12月、ドバイ首長令第14号によりドバイ警察・公安副長官に就任。人口と経済が急拡大していく時期に、治安体制の近代化を担われました。2005年4月には中将に昇進されています。
いま私たちが「ドバイは安全だ」と当たり前のように感じられる背景には、この時期に積み上げられた仕組みがあります。
ドバイの街づくりに遺されたもの
1991年、ドバイ・リアルエステート・センター(DREC)を設立されました。住宅・商業・小売・工業の各分野で3,200戸を超える物件を保有する会社です。
- Palm Spring Village — ドバイ初のゲーテッドコミュニティとされる開発。ヴィラ145戸
- The Beach Centre — 1993年開業。ジュメイラのビーチロード沿いに建った最初のモール
- ドバイ・クリーク・タワー(Dubai Creek Tower) — 1995年。デイラ側のクリーク沿いに建つオフィスビルで、エマール社がドバイ・クリーク・ハーバーで計画している同名の展望タワーとは別の建物です
- A.R.M. ホールディング — 2019年に資産を統合して設立。会長を務められた
ゲーテッドコミュニティも、海沿いのモールも、いまのドバイでは当たり前の風景です。まだ何もなかった時代に、その最初の一つをつくられた。その意味は、年を追うごとに大きくなっていくように思います。
アル・ワスルと、スポーツへの情熱
UAEを代表するサッカークラブ、アル・ワスル・スポーツクラブの会長(President)を長く務められました。クラブは1960年、ザビール地区の民家に若者が集まって生まれています。当初の名称は「アル・ザマレク」で、1974年に現在のアル・ワスルに改称されました。
殿下が会長に就かれたのは、創設からまもない1962年ごろ、メンバーからの要請を受けてのことでした。当時まだ12歳前後です。以来60年以上にわたってクラブを支えられ、UAE国内トップリーグの優勝は8回を数えます(直近は2023-24シーズン)。
2011年から2012年にかけては、ディエゴ・マラドーナ氏が監督を務めたことで、日本でも報じられました。
1988年にはドバイ・インターナショナル・マリンクラブの初代会長に就任され、翌1989年に始動したパワーボートレースの強豪ヴィクトリー・チームの立ち上げにも中心的な役割を果たされています。
世界の競馬に刻まれた、黄と黒の勝負服
世界の競馬界では、黄色地に黒の肩章、黄色の帽子という勝負服で知られた馬主・生産者でした。
- ムトト(Mtoto) — 1988年キングジョージ6世&クイーンエリザベスS優勝。同年の凱旋門賞では勝ち馬トニービンにクビ差の2着。エクリプスS、プリンスオブウェールズSはいずれも1987・1988年と連覇
- ワッスル(Wassl) — 1983年アイリッシュ2000ギニー優勝
- アミーラト(Ameerat) — 2001年英1000ギニー優勝
- アデイブ(Addeybb) — 2020年英チャンピオンS優勝。同年オーストラリアでクイーンエリザベスS(G1)も制し、2021年に連覇
- エルマルカ(Elmalka) — 2024年英1000ギニー優勝
- サダッド(Saddadd) — 2026年9月6日、ドイツのG1バーデン大賞を制覇
最後のサダッドの勝利は、殿下が逝去される15日前のことでした。2024年にもエルマルカで英クラシックを制しておられ、最晩年まで第一線の馬主であり続けられたことがわかります。
ドバイ国内では、ジェベルアリ競馬場を1990年に建設し、1991年シーズンに開場されました。馬主としての通算成績は4,475戦614勝、勝率13.7%です。アル・アディヤート・センターとドバイ・レーシング・センターの立ち上げにも関わられました。
服喪期間中は所有馬の出走が見送られています。英国では、9月21日(月)レスターに予定されていたワドゥーダが出走を取り消しました。ニューマーケットのケンブリッジシャー開催(9月24〜26日)に向けて調整されていた馬も走らない見通しで、2歳馬シャラッドは26日(土)のタタソールズ・ミドルパークS(G1)の最終出走確定リストに名前がありませんでした。
慈善とコミュニティへの貢献
2021年6月、ハムダン・ビン・ラシードがん慈善病院の設立に支援を表明されました。アル・ジャリラ財団が進めるプロジェクトです。病院の名は、同じ2021年に逝去された兄君で、ドバイ副首長兼UAE財務相を務められたシェイク・ハムダン・ビン・ラシード殿下に因むものです。
葬礼と、モハメッド首長のお言葉
9月22日午後1時、ザビール・グランド・モスクで葬礼の礼拝が執り行われました。実兄であるモハメッド首長も礼拝を捧げられ、ドバイ皇太子でUAE副首相兼国防相のハムダン・ビン・モハメッド殿下、ドバイ第一副首長でUAE副首相兼財務相のマクトゥーム・ビン・モハメッド殿下も加わられました。両殿下はモハメッド首長のご子息で、故人の甥にあたります。
その後の葬列は、ハムダン皇太子殿下が先頭に立たれ、マクトゥーム・ビン・モハメッド第一副首長殿下、そしてドバイ第二副首長のアハメド・ビン・モハメッド殿下が同行されました。埋葬はウンム・フライル墓地で行われています。
モハメッド首長は、ご自身の公式アカウントに次の言葉を寄せられました。
رحم الله الشيخ أحمد بن راشد آل مكتوم.. رحمك الله يا أخي … حللت عند رب كريم عظيم .. تغيب عن أعيننا ولا تغيب عن دعائنا وقلوبنا يا أحمد. أسكنك الله فسيح جنانه .. وألهمنا وأحبابك الصبر والسلوان.. وإنا لله وإنا إليه راجعون.
「シェイク・アハメド・ビン・ラシード・アール・マクトゥームに、神のご慈悲がありますように。わが兄弟よ、あなたに神のご慈悲を。あなたは寛大にして偉大なる主のもとに召されました。あなたは我々の目から消えても、我々の祈りと心から消えることはありません、アハメドよ。神があなたを広大な楽園に住まわせ、我々とあなたを愛する者たちに忍耐と慰めをお与えくださいますように。我々は神に属し、神のもとへ還るのです。」
ドバイに暮らす者として
ドバイという街は、わずか数十年で砂漠からいまの姿になりました。その変化は、たまたま起きたことではありません。安全を整え、人が住める場所をつくり、この街に来る理由をつくった人たちがいます。
シェイク・アハメド殿下は、そのお一人でした。警察の近代化、ドバイ初のゲーテッドコミュニティ、ジュメイラ最初の海沿いのモール、競馬場、サッカークラブ。いずれも、私たちが今日この街で当たり前に享受しているものの、最初の一歩です。
この国で暮らし、この国で仕事をさせていただいている者として、モハメッド首長をはじめアール・マクトゥーム家の皆様、そしてUAEの人々に、心より哀悼の意を表します。

